「自分」を我慢して、「お母さん」を頑張っているお母さんへ
こんにちは。
3人の子象の母さん「ぞうかあさん」です。
小さくて、非力な赤ちゃんを前に、
赤ちゃんのお世話を一生懸命する毎日が続きます。
その内、
自分の気持ちを我慢していくことが、どんどん重なっていきます。
例えば、
夜泣きっ子のお世話、
自分は眠くて寝たいのだけど、泣いてる赤ちゃんを抱っこして、とんとんゆらゆらしながら、家の中をぐるぐる歩き回っている時。
自分もお腹が空いているのだけど、先に赤ちゃんにごはんを食べさせて、自分は残りものを急いで食べている時。
トイレになかなか行けずに我慢している時。
それから、我慢しきれずに、赤ちゃん同伴で用を足さなければいけない時。
疲れて歩かない子を抱っこして、重い荷物を持っている時。
どんなにあやしても泣き叫び、周りの人から白い目で見られているなあと感じる時。
そういうことが、毎日毎日起こるんですよね、赤ちゃん時代は。
そうすると、押し込められたお母さんの気持ちは、愛情を与えてもらえなくてからからに乾いてきてしまうんです。
無気力
鬱
出不精
ぞうかあさんは、そんな感じでした。
そういう時の対処法は、間違えると、厄介で、からからに乾いた心が割れたりします。
「今だけだから大丈夫よ、頑張ってね」
「大きくなったら、そういう赤ちゃん時代が懐かしくなるんだから」
先輩ママや親世代の人からの、そういう助言。
分かっているよ、ずっとでないことは。
でも、今は毎日毎日で苦しいの。
「えーー、そんなに大変なんだー!」
「一人で育児なんて、つらすぎ!」
育児の外側の世界の友人知人からの、そんな言葉。
自分を思わず客観視して、自分が大変でかわいそうな気がしてきて、救われなくなってしまうのです。
周りの誰もが「同志」ではなく、赤ちゃんが可愛く思えなくなったりして、さらに自分の気持ちを誰にも言えなくなるのです。
ぞうかあさんの場合ですが、
親に心配をかけて、結婚、出産したので、
「弱音を吐いてはいけない」
「我慢しなくては」
という気持ちが強くて、自分の感情を閉じ込めてきました。
そうすると、ある時、感情が爆発。
これは良くない、、と反省。
どうしたらいいんだろう?
そう思い悩む時代が長かったです。
そして、
3人目の育児では、気持ちを思いっきり口に出しました。
「あー、嫌!嫌!もう嫌!眠いのに眠れないのなんて嫌」
自分の気持ちを大きな声で、自分に聞かせてました。
誰にも言えない、聞いてもらえないのだったら、自分には聞いてもらおうと。
みっともないけれど、もう嫌で堪らないんですもの。
それから、唯一味方になってくれそうな赤ちゃんにも、そうっと相談するみたいに言ったんです。
「ねえ、ゆうちゃん。もうお母さん眠いよー。抱っこするの疲れちゃったよー。
ママと一緒にお布団で寝ようよー。二人で一緒にすやすや寝ようよー。」
「ねえ、ゆうちゃん。お願い。」
まだ小さな小さな赤ちゃんの時は、聞いてもらうのは難しいのは分かっています。
ことばが出てくる頃の赤ちゃんは、いい相談相手にはならないかもしれませんが、話していました。
我慢して無言になる方が、恐いのです。
気持ちが監禁されてしまうようで。
誰にでも経験があると思うんですが、何も言わずにただただ我慢して聞かなければいけない状況を想像してみてください。
仕事で、お客様や取引先からの理不尽な言い分。
職場で、上司から不当な指示。
そういう場合、どうしますか。
誰かに愚痴を聞いてほしくなりませんか?
愚痴は良くないことかもしれませんが、でも、我慢して監禁されていた自分の気持ちを解放してくれます。
お母さんの気持ちも同じで、
「お母さんなんだから、我慢して当たり前」な気持ちを解放しましょう。
まずは自分に聞いてもらい(気持ちと耳は別ですから)、赤ちゃんのことは、赤ちゃんに聞いてもらうのが一番かもしれません。
「嫌嫌」だけでなく、
お母さんはどういう気持ちなのか、お母さんはどうしたいのか。
自分の耳と赤ちゃんの耳は、一番のいい聞き役でしょう。
赤ちゃんに「イヤイヤ期」があるように、お母さんにも「嫌嫌期」があります。
「嫌」と言ったら、気持ちの栄養になるような「幸せことば」をたくさんつぶやきます。
「あー、今日はたくさん眠れて、とっても気分がいい!」
「んー、やっぱりあったかいお味噌汁はおいしい!」
「今日はゆうちゃんがご機嫌さんで、ママはお出かけ楽しいな!」
そうすると、嫌嫌な気持ちを口にしたことが帳消しになって、幸せな口になる気がするのです。
我慢するお母さんの呪縛から、自分を解放しましょう。
ありがとう、お母さんな私。
今日も一日、「お母さん」を頑張ったあなたは素晴らしい。
自分のために、「ありがとう」。
今日の「ありがとう」が、明日の気持ちの晴れにつながるように。