毎日が母曜日

3児の母の「ぞうかあさん」が綴る、日々の育児で思うこと。

幸せのリセット

こんにちは。

3人の子象の母さん「ぞうかあさん」です。


育児が一段落したら、「やりたいこと」がたくさんありました。

ゆっくり温泉に入りたいなあ。

時間を気にせず、友達とお茶したり、食事したり、飲みに行きたいなあ。

お気に入りのお店で自分のための買い物がしたいなあ。

好きな作家さんの本をじっくり読みたいなあ。


やりたいことを想像していると、なんだか幸せな気持ちになってきます。

今すぐには無理でも、近い将来遠くない未来にやりたい、自分なりの幸せの種を持っていました。

でも、実際はちょっと違っていました。

子どもと向き合って育児にかかりっきりになることが日常化して、

家の中で時間といつもにらめっこして暮らしていたら、

空っぽになってしまった自分がいたんです。


子どもが思いの外長く寝てくれて、ぽかっと空いた時間、
本でも読めたのにね、
気になっていた所の掃除をしてしまいました。

子どもがプレイルームでお姉ちゃんと一緒に長く遊べるようになって、
その隙に自分の買い物もできたのにね、
子どものものや夕ごはんの買い物で終わりました。


あれ、
私は何がやりたいんだろう?
何がほしいんだろう?


友達と久しぶりにおしゃべりを楽しんでいて、ふっと気づいたりするんです。

あれ、
私は、何が好きなんだろう?
何に興味があるんだろう?
生きていく目標ってなんだろう?


自分には何も無いような、葉が1枚も残っていない弱々しい小さな木のようでした。

いままで、
夜中に何度も起きて、長く寝れなかったり、

ごはんを温かいままゆっくり食べ終えることができなかったり、

一人でトイレに入って用を足せなかったり、

そんな些細なこともできなかったんです。


4時間でも続けて眠れたことが有り難くて、

なんとかごはんが食べれるだけで、空腹でいるよりはずいぶんマシで、

トイレの間に子どもがお話しながらでも待っていられるようになっただけで、

たったそれだけでも、充分でした。
そんな些細なことで満足できるようになっていました。


写真に収まるような、目に見える幸せ、

数字で表せるような、頭で測れる幸せ、

万人に共感してもらえる幸せだけが、幸せではありません。

育児で踏ん張った自分に起きたのは、幸せのリセットでした。

葉が全て落ちた冬の木のような、いろいろなものが落ちた自分でした。


花咲かぬ木にも、
実らぬ木にも、
葉のない丸坊主の木にも、
地下に下ろした見えない根っこがあります。

どんな自分であっても、素の自分を認める事ができていれば、自分という木の根っこがあります。

その根っこを大事にしていれば、またいつの日か自分色の花も実もなります。


過去の自分と比べたり、人と比べたりしなくていいんです。

今すぐにでなくてもいい、急がなくてもいいんです。

自分という根っこがあれば、自分だけの幸せの花を、自分を満たせる実をつけることができます。

たとえ、今が何にも持たない丸坊主の木だったとしても。

それが、ずっとではありません。

根っこに栄養を与えるように、素の自分を認めて大切に。


ありがとう、お母さんな私。

今日も一日、「お母さん」を頑張ったあなたは素晴らしい。

自分のために、「ありがとう」。

今日の「ありがとう」が、明日の気持ちの晴れにつながるように。