毎日が母曜日

3児の母の「ぞうかあさん」が綴る、日々の育児で思うこと。

変わっていく自分に戸惑うお母さんへ

こんにちは。

3人の子象の母さん「ぞうかあさん」です。

ぞうかあさんは(も)、
赤ちゃんが来て、変わったことがたくさんあります。

いままでの自分がどんどん遠くに置いていかれて、不具合の多い新しい自分が濁流に飲み込まれながら、息も絶え絶えに流されて行く感じでした。


その中で、

自分に自信がなくなりました。

自分が何者なのか分からなくなりました。

輝いている人、上手くいっている人を見て、自分が惨めになりました。

生きて行くのが辛くなりました。

ぞうかあさんは、そんな負の感情をたくさんたくさん味わったのです。


だって、

ぞうかあさんは、

仕事を諦めました。

自分一人で、自分の好きなことをする時間を諦めました。

両手を使って、座って、ゆっくりごはんを食べることを諦めました。

自分の身体を隅から隅まできれいに洗い、スキンケアすることを諦めました。

トイレで、一人で用を足すことを諦めました。

夜、身体を伸ばして、好きなだけ寝ることを諦めました。

おしゃれをすることを諦めました。

どれもこれも大切だったことです。

赤ちゃんが来る前には普通にできたことでした。


器が小さくて未熟だった時には、人のせいにして、自分を慰めるようなこともしました。

家の子は、手がかかるから!

旦那が仕事で忙しいから!

頼ろうと思っても、遠方に両親が住んでいて、頼れないから!

等々。

でも、人を攻めてみたところで、何も変わることはないのです。



赤ちゃんが来て、否応無しに変化する生活、自分の意思とは関係なく変わっていく自分。

以前の自分が「過去の栄光」のように輝かしく、自分を見失い始めました。

過去に固着することで、変わらずにあろうと、「過去の自分」が主張してくることを止めることができなかったのです。

変わることが、怖かったのです。

いままで通りに、仕事をしたい!

いままで通りに、親しい友人と時間を共にして、笑っていたい!

いままで通りに、自分を磨くための時間が欲しい!

自分にあったものをどんどん失い、変わっていく自分と向き合うのが恐かったのだと思います。

ただ、自分が何かを失った時、それでも失わなかったものがあります。

変わってしまった自分を自分が受け入れられなくても、自分を受け入れてくれる人がいます。

考えるだけで、心が温かくなるもの。

手に握りしめていたいもの。
一緒にいてくれる人。

それが、自分にとって、かけがえのない大事なものです。

それこそが、「本当の自分」でいるためになくてはならないものなのです。

まるで、上等な宝石を研磨して高価な宝石になるように、「本当の自分」を構成するために必要な何かを見極めることができるのです。

削ぎ落とされて失ったものに執着せずに、さらに高価になった宝石が、自分自身なのです。

研磨されて、失っていく自分の大切な欠片を見るのは、痛みを伴います。
泣いたり、
叫んだり、
怒ったり、
傷心しきったり、
絶望したり。

「変容」を受け入れ、シンプルになった時、また新たな世界が見えてくるのでしょう。

変わっていく自分に戸惑うお母さんが、一人でも多く、自分の宝石を感じることができるように。


ありがとう、「お母さん」な私。

今日も一日、お母さんを頑張ったあなたは、素晴らしい。

自分のために、「ありがとう」

今日の「ありがとう」が、明日の心の晴れに繋がるように。