毎日が母曜日

3児の母の「ぞうかあさん」が綴る、日々の育児で思うこと。

育児の世界

こんにちは。

3人の子象の母さん「ぞうかあさん」です。


出産が終わった時のことです。
ぞうかあさんは、
「世界が開かれた」
そんな風に感じました。

それで、産後の興奮もあって、病室で眠れませんでした。
産後で休息を取る必要があることを頭で分かっていても、気持ちが高ぶってしまっていました。

産後に感じた「開かれた世界」は、寒い朝の霧で覆われた風景が広がっているような世界でした。
霧で全貌が見えないさま、
寒さで身が縮こまるさま、
始まりを感じるまだ弱い太陽の光。

開かれたばかりの世界は、
まだ未知の育児に不安を感じて、萎縮してしまいそうな頼りない母親の自分に相応しい世界だったのです。


ずいぶん昔の話になりますが、なぜか鮮明に覚えていることがあります。

たぶん10歳くらいで女性ホルモンの分泌が多くなった頃だったんだと思います。
そういう、特別な状況の時だったんでしょう。

お風呂の湯船に浸かりながら、なんだかとっても不安になって、生きていくことが億劫に感じました。

自分は大人になれるのだろうか。

例えば、胸が膨らんできて、大人の女性に変わることができるのだろうか。

大人の女性になって、赤ちゃんができるのだろうか。

赤ちゃんを産んで、お母さんになれるんだろうか。

そんな、遠い未来のことまで想像して、途方も無い旅路に尻込みしてしまったのです。

大人にならずに子どもでいることを続けたいような気持ちにもなりました。

湯気で真っ白な浴室の湯船の中にいる10歳くらいの私は、産後でお母さんになった時と同じような心境だったのです。

もしも時間が操れる術を持っていたら、あの新米のお母さんの頃の自分には育児の世界を、
あの10歳くらいの子どもの自分には大人の女性の世界を、
少しだけ語ってあげられるのにと思うのでした。


お母さんという役割を引き受けて、知らなかった世界が開かれたのは、世界が深くなる感じでした。

旅で世界の広さが分かるように、育児で世界の深さが分かります。

深く深く海に潜って、見たことのない深海魚を見るように、自分の中に深く存在している見たことのない自分を見る時間でもあります。

水深の違いで、同じ海でも違う生物が存在し、違う世界が広がっているところも、育児を通して世界の次元が変わるような感覚に似ています。

もちろん、
光り輝く幸福だけの世界ではありません。
暗く苦労の多い世界というわけでもありません。


育児の世界で、
何を見つけるのか。
何を感じるのか。
どう彩るのか。

それは、お母さん次第です。

それをどう語るのかも、人それぞれです。

ぞうかあさんが育児の世界の住人になって17年、その世界を語りたいと考えたのには理由があります。

育児の世界が社会の端っこに追いやられてしまうような場所であってほしくはない。

育児の世界の住人になりたいと思ってもらえる場所であってほしい。

育児の世界の扉が目の前に開かれようとしている時に、迷わず歩を進めることができる場所であってほしい。

住人が尊厳を持って穏やかに暮らせる世界であってほしい。

そのために、育児の世界の住人としてできることは何だろう。

まずは、育児の世界で光を放つ住人であろう。

希望を届ける、育児の世界の語り手でありたい。

ぞうかあさんの新たな挑戦です。