毎日が母曜日

3児の母の「ぞうかあさん」が綴る、日々の育児で思うこと。

傷付きやすいお母さんの心

こんにちは。

3人の子象の母さん「ぞうかあさん」です。

ぞうかあさんには、長男(16)、長女(9)、次女(2)がいます。


長男が2歳の時なので、もう15年くらい昔の話です。

新米お母さんだった頃のぞうかあさんが、
当時2歳の長男を連れて買い物に行った時のことでした。

買い物が終わって、駐車場で車の鍵を開けようとモタモタしていたその時です。
ちょっと(ほんとに5秒くらいです)目を離したすきに、息子が自分から離れて、車が行き来するところへと飛び出しそうになりました。
ぞうかあさんが、「あっ」と気づくと同時に、

「何してるの!!子どもが危ないじゃない!」

という怒鳴り声が聞こえました。

駐車場を歩いていた中年女性の人でした。

その女性は息子の危険を察知して教えてくれたのですが、怒鳴られたことがとてもショックでした。

息子は泣き出してしまいました。

私は悲しいような、悔しいような、気持ちが押しつぶされるような気分でした。

周りに少なからず人もいましたし、その人達にも、

「ダメな母親ね」

と思われているような気がして、急ぎ足に帰ってきたことを覚えています。

帰路の車の中で、誰に聞かせるわけでもなく、言葉がどんどん思い浮かぶのを必死でかき消しました。

両手いっぱいに買い物袋を持って、鍵を開ける最中だったのだから仕方がないじゃない。

あんな風に責めるように、怒鳴らなくてもいいのに。

もう動き回る子どもを連れて買い物行くの嫌だわ。


帰ってから、夕ごはんの支度をしていても、子どもの面倒をみていても、お風呂に入っていても、考えるのはそのことばかりでした。

夜になったら、なぜかポロポロと涙が溢れ出てきてしまいました。

もう、完全に母親としての自信をなくしてしまい、明日からお母さんを頑張れないような弱気な自分になってしまいました。

自分のお母さんとしての欠陥を人に話せず、一人で溜め込んでいました。


それからというもの、
外出自体が億劫になりました。
あの駐車場には、数年足を運べませんでした。


初めての育児で正解がわからないまま、毎日毎日自分なりのベストで子どもの世話をしている、新米お母さんがほとんどでしょう。

お母さんとして自信ない

他のお母さんと比べて、コンプレックスを感じている

解決策が見つからないまま、次々と別の問題が発生してオーバーワーク気味


そういう状態なので、人の言葉に過敏に反応してしまいます。

「ミルクでかわいそう」

「母乳が出ないんだったら、ミルクあげないとかわいそう」

「これしか母乳が搾乳できないの」

「赤ちゃん小さいね」


気持ちの免疫力が低いと、相手の何気ないそんな言葉で「ダメなお母さん病」になっては苦しみました。

傷付いたお母さんの心を隠して、それでも子どもの前でお母さんであり続けます。

その心の傷を癒すのは、

頑張った自分を認めて貰えるような言葉だったり、

自分と同じ立場の人からの共感だったり、

そして、

ダメな部分を許してあげられる自分だったり、

様々でした。


それと、

毎日毎日子どもと一緒にいて、
子どもの前でお母さんであり続けることが、一番の気持ちの療養だったのでした。

お母さんを続けることが、少しづつお母さんとしての自信につながり、心も強くなっていったのです。


あの頃、
あの女性に会うのが怖くて、同じ場所にすら行けなかったのですが、今は少しだけ別の角度で見れるようになりました。

「もしも、あの女性がいなければ、息子が止まらずに飛び出していて、車と接触していたかもしれない。そうしたら、状況はもっと深刻だっただろう」

気持ちに余裕が無くて、到底言えなかっただろうけど、今なら言えます。

「息子の危険を教えてくださって、ありがとうございました」


忘れないでくださいね。

子どもにとっては、自分のお母さんが1番なんです。

ダメだと過少評価しているのは、厳しすぎる自分の評価でしかありません。

傷付いてたとしても、お母さんであり続けてください。

筋肉は運動で傷付いて、それを修復する度に太く強くなるように、お母さんの心もきっと太く強くなります。

だから、世のおばちゃんって、強いんですね。



ありがとう、お母さんな私。

今日も一日、「お母さん」を頑張ったあなたは素晴らしい。

自分のために、「ありがとう」。

今日の「ありがとう」が、明日の気持ちの晴れにつながるように。

お母さんになって、自分が制限される

こんにちは。

3人の子象の母さん「ぞうかあさん」です。




先日聞いた、バリバリ(というと古いかもしれませんね)働く事業家のお友達の発言です。


「子ども産んでから制限されてたからねー」

(お仕事が制限されていた、ということです)


「制限」


もっと違う言葉を使うと、「犠牲」という人もいます。

確かに、
自分から「お母さん」をマイナスした方がなんでもできる気がします。

好きなように、

自由に、

思いっきり、

「制限」なしでできる気がします。


ぞうかあさんも、同じように感じたことが幾度とあります。


「自分の好きなように、休日を過ごせるだろうな」

「旅行、夢中になれる趣味、自由に時間を使えるだろうな」

「労働条件を気にしないで、思いっきり働けるだろうな」

でもね、

実は、

育児は、

愛の特別講習を学ぶ時間

だったんだ、と気付きました。

それも、
学びたくても全ての人がまなべるわけではない、

赤ちゃんに選ばれた親御さん

赤ちゃんを育てたいと切望した親御さん

だけが特別に学べる期間限定の集中講座です。

そう、

「制限」されてたいたのではなく、
(もちろん、育児で自分が犠牲になっていたわけでもなく)

ただ、

次の新しいステージへ上るための勉強だと、感じることができればいいんです。


高校生が大学受験のため、受験勉強に励むのと、

仕事のスキルアップのため、資格を取ろうと挑戦するのと、

自分磨きのため、習い事をするのと
同じです。


育児に明け暮れている日々も、同じです。


人間力スキルアップのため、愛を学ぶこと。

その為の大切な期間だったんです。

「自分」−「お母さん」を想像して、愛情の増加と人間力の向上を制限せずに、
「自分」×「お母さん」になるための努力に光を当てましょう。

確かに、
自分の行動は制限されてしまうかもしれません。

だからといって、
自分自身のスキルアップに、自分で制限をかけずにいたいです。



今はまだ見えないかもしれませんね。

どこに行き着く道なのかもわからないかもしれません。

でも、
人間力のアップした自分に会うのは楽しみです。

そんな自分が歩く新しい世界も、見てみたいです。


そう考えたら、
育児のある道は制限のかかった、自己犠牲の旅ではありません。


ね。
おもしろい旅で、
「ちょっと大変」
「うまくいかないアクシデント」
があるように。

育児を見る目を変えたら、毎日も変わるでしょうね。



ありがとう、お母さんな私。

今日も一日、「お母さん」を頑張ったあなたは素晴らしい。

自分のために、「ありがとう」。

今日の「ありがとう」が、明日の気持ちの晴れにつながるように。

いやいや期

こんにちは。

3人の子象の母さん「ぞうかあさん」です。


家の末っ子が先日2歳になりました。

「魔の2歳児」です。

かわいい反面、鬼のような形相で泣きじゃくり、手に負えないことも多いです。


ちょっと手伝って、スプーンでごはんをすくったら、
(自分ですくいたい)
スプーンを投げて、泣きじゃくって大抗議。

一緒に部屋に入ろうと、ドアを開けたら、
(自分が開けたかった)
じたんだ踏んで、大抗議。

一緒にみかんを食べているお姉ちゃんが、みかんの1房を食べたら、
(それは私の、という思いがあるようで)
大抗議。
まだ、いっぱいみかんがあるのにね。

買い物に行き、好奇心を持ったものから、そうっと引き離そうとしたら、
(破損が恐ろしいので)
大反抗。

小さなことでも、大きな地雷になって、大泣きしたりします。

そして、

1日に何回も起こります。

場所も構わずに起こります。

一度起こるとなかなか収まらず、
他のことに気を逸らそうとすると、さらに激しくなったりするのです。
(少し前なら、気を逸らして泣き止ますこともできたのですが)

0歳、1歳代前半の頃の育児も大変ですが、泣く理由が分かりやすい欲求のことが多いです。

お腹が空いている、喉が渇いていて泣いているのであれば、
おっぱいかミルク、ごはん、水を与えれば収まります。

眠くて泣いているのであれば、
おっぱいをあげたり(そうすると自然に寝ます)、抱っこして寝かしつければ、収まります。

後追いがあったり、お母さんに構ってほしくて泣いているのであれば、
相手をしてあげれば収まります。

でも、
いやいや期の泣き方は、子どもの気持ちの整理がつくまで待つことが必要なことも多いです。

親(きょうだい)を敵対して、泣いているようにも見えます。

一人でやりたい。
自分はこうしたい。
という、日々強くなる自我。

自分を分かってほしい、
自分の気持ちを受け入れてほしい、
という新たな欲求です。

その根本には、
親(きょうだい)に、自分に愛情を注いでほしいという、誰もが望むことがあるのです。

だから、
いやいや期の泣きじゃくりは、子どもにとっての葛藤であり、
愛情獲得のための聖戦です。

道理で、あんなに勇ましいわけです。
聖戦の兵士なんですもんね。

子どもが始めたこの聖戦を収束させるには、親が負けてしまうのが一番です。

向こうが奪おうとしているものを差し出せばいいんです。

子どもが一番欲しい親からの愛情を渡してしまえばいいのです。

では、
愛情の渡し方は、また次回。


ありがとう、お母さんな私。

今日も一日、「お母さん」を頑張ったあなたは素晴らしい。

自分のために、「ありがとう」。

今日の「ありがとう」が、明日の気持ちの晴れにつながるように。

子ども自慢の親御さん

こんにちは。

3人の子象の母さん「ぞうかあさん」です。


子どもの話が大好きな親御さんはたくさんいます。
地球が子ども中心に回るくらい、他のものが隅に追いやられて視野いっぱいになるのが育児ですからね。

中には、口を開く度に子どもの自慢話の親御さんもいます。
自慢できる子どもというのは、仕事で任された大きなプロジェクトが上手くいっている時の高揚感のような心境です。
嬉しい気持ちが、口からこぼれ出てしまうんでしょうね。

さて、子どもの自慢話でも、聞き心地がいいものと、もやもやするものがあります。
「あんなに止めるって言ってたのに、最近は一生懸命練習するようになって、ピアノのコンクールで賞をもらえた」
なんていう話は、聞いていて嬉しい気持ちになります。

一方、
人の話を聞いていても、自分の子どもの話に話題を変えて、
「家の子は、もっと凄い」
「家の子だって、、、」
という発言をしてしまう親御さんがいます。
こういう時は、褒めてオーラ全開です。

その上で、
こういう親御さんは、他人の子どもにも過干渉な場合があったり、押しつけがましい発言があったりします。
例えば、
「〇〇ちゃんももう5歳なんだから、ひらがな全部覚えた方がいいよ(家の子は、ひらがなもカタカナもできるよ)」
という具合に。

自分の子どもに当てる「ものさし」を他人の子どもにも使いたがるのです。

単純に子どもをはかりたがるのは、
子どもの成長を分かりやすい形で見て、自分の育児に確信を持ちたいからです。

でも、
親御さんが持っている「ものさし」ではかれる、子どもの成長は一部なんです。

身長と体重
文字の読み書き
習い事のグレード

それらは、はかれます。
こういう、はかれる成長を重要視する親御さんはいます。

でも、
成長は視覚化できるものと感じるものと両方あります

感じるものは見えないし、はかれません。
心の成長
気持ちの持ち方
感情のコントロール
他人への理解や共感
社会の中での人との関わり方
集団の中での自分の表現方法と立ち位置
などなど

子どもの成長をはかる道具もたくさんあります。
重さ、長さ、距離、体積をはかる時に、それぞれの道具があるように、
すべてを測れる道具なんて無いのと同じです。


「家の子は、〇〇ですごいでしょ」
的な発言をする親御さんは、
単に自分自身を安心させたいだけです。

「私の物差しの使い方合ってる??」

「測定の結果は大丈夫?」

「大丈夫」という安心感がほしいのです。

「あなたのお子さんは、日々順調に成長しています」
と言ってほしいのです。

そして、
「あなたの育児は正解です」
と一番言ってほしいのです。

だから、
褒めてオーラで子どもの自慢話を聞いたら、
ぞうかあさんはこう伝えます。

「よかったですね」

「〇〇ちゃんも嬉しいでしょうね」

「お母さん(お父さん)も嬉しいですね」


大丈夫です。

褒められなくたって、大丈夫なんですよ、育児は。

数値で見る安心感より、心で感じる喜びを子どもの成長で感じたいです。

赤ちゃんに選ばれないお父さんお母さん

こんにちは。

3人の子象の母さん「ぞうかあさん」です。


ぞうかあさんには、子どものいない友人知人が多くいます。
その人達がとっても素敵で、いつも温かい気持ちになるんです。
自分が憧れる、「あんな素敵な人になりたい」という人たちがたくさんいます。

どうして、あんなに素敵なんだろう、と考えたことがあります。

育児に時間を費やさない分、自分磨きができるのでは。

育児の代わりに、たくさんの経験を通して豊かな気持ちを育むことができるのでは。

身軽に人との交流を楽しみ、人生を学ぶ時間が多いからでは。


それらの要因もあるかもしれません。



でもね、赤ちゃん目線で見たら違うのかもしれません。

「赤ちゃんは、お父さんお母さんを幸せにするために産まれて来る」
と聞いたことがあります。
ということは、
お子さんがいらっしゃらない人は、人(赤ちゃん)に幸せにしてもらわずとも、自分で自分自身を幸せにできる人なのかもしれません。

「お母さんにとって、1人目の出産は最大のデトックスだ」と聞いたことがあります。
体内の有害物資のデトックスを簡単に想像しますが、感情面、不安や怒り、恐れなどのネガティブな気持ちも浄化されるそうです。
ということは、
妊娠出産経験のない人は、デトックスが必要ないクリーンな心身を持っているのかもしれません。
もしくは、自己浄化力が高い人なのかもしれません。

「育児は育自」と言われるように、子どもを育てることで、自分自身を育てていくことに繋がります。
ということは、
育児の経験がない人は、常に自分自身を育てることができる人なのかもしれません。

お空でお父さんお母さん探しをしている赤ちゃんにとっては、
幸せで、
クリーンで、
自分自身を成長させることができる人よりも、
そうでない人を先に救う必要があるのかもしれません。

幸せをありがとう。
きれいにしてくれて、ありがとう。
お母さんを育ててくれて、ありがとう。
赤ちゃんにそういう気持ちを持ちつつ、

幸せ探しが得意な、
心身共にクリーンで美しい、
常に成長できる人たちに尊敬の念を抱かずにいられません。

だから、ぞうかあさんは子どものいない人に惹かれてしまうんでしょう。

どうもありがとう。

お母さんとしての人との関わり

こんにちは。

3人の子象の母さん「ぞうかあさん」です。


子どもができると、いままでは別世界だった新しい場所に否応なしに入ることなります。
産婦人科
小児科
市役所のこども科
地域の子育て支援センター
近所の公園
幼稚園に保育園
学校
習い事の教室
など。

子どもを通して知り合う人が増えます。
人付き合いが得意でないと、物怖じしてしまうこともあります。
ぞうかあさんも、それほど社交的な方ではないので、苦手な時がありました。

ぞうかあさんはお母さん歴17年なので、その間いろいろなタイプのお母さんと関わってきて、いろいろありました。

例えば、
以前、仕事を通してのお友達が、ぞうかあさんと時を同じく妊娠して、女の子を出産しました。
接点が多いので、妊娠中からずっとお友達でした。
子どもも同い年の女の子で一緒に遊べるので、親子でお友達として付き合えていたのです。
数年経って、そのお母さんが仕事を始め、子どもが幼稚園に通うようになると、少しずつで状況が変わりました。
そのお友達のお母さんはグチが多くなり、人の悪口を話すようになったのです。
その内、ブツッと糸が切れたように付き合いがなくなりました。
何か悪いことをしたかな、
仕事と育児で忙しいのかな
とも思いましたが。
結局は、新しいお友達ができただけだったのです。
ぞうかあさんは少し寂しく思いましたし、なんだか仲間外れになった気にもなりました。
後味の悪い思いをしました。
でも、そのお友達は、そういう人との付き合い方をする人のようで、お友達がよく変わる人なだけでした。
もしかしたら、お母さんとしての人との付き合い方を模索しているのかもしれません。
今は、同じ地域に住んでいるお母さん達と付き合いがあるのかも分からず、誰からも話を聞きません。

人付き合いは、
うまくいかない時、
理不尽な思いをした時、
辛い思いをした時、

そういう時もあります。
自分を見つめ直すいい機会だと思って、人との関わり方を変える必要があることもあります。

また、人付き合いを開拓すればいいだけです。


転ぶことを恐れずに歩き、そして走る我が子の側で恐れてはいけません。
お母さんとして、人と関わる事を恐れてはいけません。

お母さんのお腹で芽生えた小さな命が、時と共にお母さんのお腹を大きくするように、そして生まれてからどんどん大きく育つように、この子はお母さんの世界も大きく広げてくれるのです。

自分を大切に、
自分を飾らずに、
自分を押し付けず、
自分に無理させず、
自分に我慢させず、

人と関わりましょう。

気持ちよい関係で付き合えるお母さんは、必ずいます。



ありがとう、お母さんな私。

今日も一日、「お母さん」を頑張ったあなたは素晴らしい。

自分のために、「ありがとう」。

今日の「ありがとう」が、明日の気持ちの晴れにつながるように。

目で見えているこの小さな世界

こんにちは。

3人の子象の母さん「ぞうかあさん」です。


2歳を目前にした家の末っ子が、寝室の一点を見つめて「こわい」と言い始めました。それからというもの、その寝室で寝るのを拒むのです。仕方がないので、もう一つの寝室で寝ることになりました。

その寝室なんですが、上の子が4歳くらいの時にも、「おばけがいて、こわい」と言った場所なんです。

よく聞く話なんですが、家の子ども達にも、私には見えない世界が見えるようです。

まだ言葉を話さない小さな子どもは神様だと、聞いたことがあります。
小さな身体で、小さな存在で、その小さな目で見えている世界が、実は私達大人が見えている世界よりずっと広いのかもしれません。

「見えないけれどあるんだね」の分からない世界を丁寧に扱いたいです。
もしかしたら、私達がまだ小さな子どもの頃には見えていた世界なのかもしれません。

大人になって世界が広がったと思っているけれども、それは見える世界だけの話なんでしょうね。
私達は誰もが、生まれ持った自分の宇宙を持っています。
でも、大人になる過程で社会に深く関わるようになると、その宇宙の存在を忘れてしまいがちです。

子どもが持っている広い宇宙を感じて、
自分の目で見えているこの世界の小ささを実感するのでした。