毎日が母曜日

3児の母の「ぞうかあさん」が綴る、日々の育児で思うこと。

未熟なお母さん

こんにちは。

3人の子象の母さん「ぞうかあさん」です。


完璧な「お母さん」っていますよね。

仕事もバリバリこなしていて、育児も(そして家事も)、オールマイティーにこなせるお母さんがいます。

ぞうかあさんは、そういうタイプではないので、「すごいなあ」と感心してしまいます。

一時期、
ぞうかあさんは頑張っていて、
でも、完璧にできない自分を未熟な存在だと感じていました。

自分が頑張っているので、人も頑張るべきだと思っていました。
それでも完璧ではない自分が腹ただしくて、身近な家族の未熟な部分にイラつくことがありました。
完璧を目指す頑張っている自分は、あまり気持ちのいい存在ではなかったかもしれません。

「未熟」というのは、これから熟していく、一番いい時期なんですよね。
逆に熟していたら、後は腐って朽ちるだけですからね。

だから、
お母さんは未熟な方がいいんじゃないのかなと思いました。
その方が、子どもにちょうどいいです。
子どもは、社会からみたら、自分の面倒もみれない未熟な存在です。
でも、全然恥じてもいなければ、憂いを感じているわけでもありません。
全身全霊で生きてることを楽しんでいます。
水たまりに入って、靴を汚したり。
石ころを拾って、手にずっと持っていたり。
階段を何回も上り下りしたり。
草っ原の上で寝転んだり。

お母さんも未熟なままで、子どもと一緒に生きることを楽しんだらいいんです。
そうして、
水たまりにも
石ころにも
階段にも
草っ原にも
価値を見出していけるわけです。

お母さんにならなければ、視界に入らなかった価値を見つめることができます。
そのための、「お母さんという国」での未熟なのかもしれません。

水たまりで、子どもが飽きるまで待っているお母さん。
子どもの手の中に握りしめている石ころを一緒に見ているお母さん。
階段にしゃがみ込んで、子どもを見ているお母さん。
草っ原で子どもと笑い声をあげているお母さん。

ぞうかあさんは、そういうお母さんが好きです。
子どもの国を愛しているお母さんです。


「濡れちゃうでしょ」
「汚いから捨てなさい」
「早い行くわよ」
「服が汚れちゃうでしょ」

そう言ってしまうお母さんより、好きなんです。

子どもと一緒に成長して、気持ちよく熟していきましょう。


ありがとう、お母さんな私。

今日も一日、「お母さん」を頑張ったあなたは素晴らしい。

自分のために、「ありがとう」。

今日の「ありがとう」が、明日の気持ちの晴れにつながるように。